人は「ホンネ」と「タテマエ」を駆使して生きています。本当はやりたくないこと、本当は考えたくないことも、「責任」があるから仕方なく実行するしかないということも多々あるものです。

「社会」は、人と人の関わり合いで成立しているものです。それはなにも「自分とウマが合う人」とだけ関わればいいというわけではありません。「社会」にはさまざまな人がいて、それらの人々すべてがわかりあえているかというとそういうわけでもないのです。自分に置き換えて考えてみてください。仕事で触れ合うすべての人と、手放しで「共感」していると考えることができる場合など少ないのではないでしょうか。自分の責任と相手の責任が交わったとき、つまり「仕事」でなければ交流することなどなかったのではないでしょうか。さらには、仕事の上での交流しかないため、その人が「本当はどういう人なのか」などということは知る由もないのではないでしょうか。

人と人の交わりが社会ではあるものの、実際は人と人が本当の意味で交流しているわけではないということを、社会で働いている誰もが実感しています。仕事上での「自分」とプライベートでの「自分」の切り替えが上手な人ほど、それを顕著に感じるのではないでしょうか。心底安心して接することができる友達と、足元をすくわれかねない仕事上の相手、それを明確に分類するということが、現代の社会で上手に生きていくコツなのかもしれません。

毎日顔を合わせていても、どこかに心の壁があるのではないかということです。むしろ、「そんなものはない」と断言する人は、現代では「苦労」する人なのではないでしょうか。会社の中でも騙し合い、取引先とも騙し合い、お互いに誠実な素振りを見せながら、自分の「得」になるようなことだけを追い求めているのが「実際」です。そのように現代社会を割りきって見ることができる人でなければ、さまざまなことが「ストレス」になってしまうでしょう。

そんな「人と人との駆け引き」に満ちたこの社会であっても、「飲み会」の席では少しずつ「ホンネ」で語れるものです。仕事上では知ることができない相手のホンネ、自分では自覚していなかった自分の「ホンネ」、そのようなモノがお酒のチカラと場のチカラで引き出される。それが「飲み会」です。

ただ集まってワイワイ騒いでいるだけなのに、不思議の相手のことがわかってくる。そのような場なのです。それは現代の働く人にとってのオアシスでもあり、人によっては煩わしい集会でしかないのですが、いつの世の中になっても「飲み会」はなくならないものでしょう。そんな飲み会を少し深く考えてみることで、現代に足りないもの、仕事上のコミュニケーションだけでは足りないことを改めて知ることができるのではないでしょうか。

人と人はコミュニケーションをとるものです。人と人はコミュニケーションを取りながら互いに高め合うものなのです。そうしてさまざまなことが回っていると、実感することができれば、また一歩「社会」に対して深い考えを持つことができるのではないでしょうか。