宴会は人間関係を作る

人と人が関わって成立している世界、人と人が関わってさまざまなことを考え、さまざまなモノを作り上げた世界、それが私たちの文明です。人と人が結びつき、時には反発し、時は流れて積み重ねてきたのです。

時間というものはどのようなモノにも等しく流れるもので、どのような人であっても、歳を重ねます。どのような人であっても、自分の人生を楽しく、幸せに過ごしたいと考えているもので、最終的には自分がどのような人生を送るのか、何を成して老いて死んでいくのか、そのようなことを考えているものです。それが何十億も積み重なっているのが私たちの社会で、それぞれがそれぞれの「正義」、「信念」、「好み」を持っているから、コミュニケーションが必要なのです。

人はひとりではなにも出来ないもので、ある人とある人の責任が積み重なって成立するのが仕事、ある人とある人の好みが重なってウマが合って誕生するのが「友情」、人と人の関係は一様ではなく、人と人がぶつかり合うことも度々あります。ときには心を傷つけたり、ときには物理的にケガをさせてしまったりすることもあるもので、そのような「人と人」が節度を保って触れ合うことができるように「道徳」、そして規制としての「法律」があるものです。

そのような中、「結局は自分」が一番大切ではあるものの、「結局はひとりでは何も成立しない」という状況の中、私たちは少しでも他の誰かと理解を共通させることが必要で、少しでも人とわかり合うことが必要なのです。それが社会にとって大切なことであり、社会が発展するために大切なことなのです。「宴会」はそのような「人と人」をつなぐ、貴重な機会であるといえます。そのような宴会を円滑に進めるためのテクニック、そのような宴会を素晴らしい場として成立させるための「居酒屋」は、いつの時代にも必要なものです。

宴会が好き、宴会が苦手、さまざまな人がいるでしょう。人とのコミュニケーションのとり方はひとつではないと考える人もいるでしょう。ただ、「宴会」はまちがいなくひとつの「コミュニケーション方法」であることは間違いがありません。それだけが手段ではないのですが、「それも手段のひとつ」なのです。さらには「アルコール」という要素が加わることで、普段言えないことが言えたり、普段晒せないことが晒せたり、自分が自分らしく振る舞える、さらには「人の違う一面」を垣間見ることができる場なのです。

そのような機会を大切にするかどうかということは、結局は人を大切にするかどうかということと等しいもので、人を大切にするからわかりあえることだってたくさんあるのです。特に私たち日本人は相手を慮ることに長けています。相手を大切にすることで、やがてそれが自分に還元されると、どこかでわかっているからかもしれません。

人と接すること、関わること、わかりあえること。それが、社会が円滑に回転する根本です。すべての根本は「人」なのです。