「呑む」という社交とは

日本の法律では「お酒」は20歳を超えてからでないと飲んではいけません。ですから、「呑む」という社交自体が「大人」にならなければ実践出来ないものです。 お酒を飲むということの意味、宴席でしか語ることが出来ない「本音」があるということの意味がわかるのは、実際には働き始めてからかもしれません。それまでに経験するのはいわゆる「コンパ」でしょうか。仲間うちで集まってワイワイ騒ぐ程度の飲み会です。

お酒を酌み交わすことが社交であるということは、理屈ではわかっているものです。ただ、学生時代と働き始めてからのそれは明らかに違う性質を持っています。学生の頃にも先輩や後輩という立場の違いはあるものなのですが、社会に出るとそれが自身の生殺与奪を握る相手とも同じ席にいなければいけないことすらあるのです。学生の頃の無責任な人間関係、無責任な社交ではなく、自身の生活に関わるほどの重大な場が「宴会」であるということがあります。

お酒が好きな人、嫌いな人、お酒に強い人、弱い人、それぞれ存在するでしょう。学生の頃は「自分はお酒が苦手だから」といって、そのような飲み会を避けることが出来たものですが、大人になり社会に出るとそうはいかないことが多いのです。会社行事としての飲み会、配属されている部署のイベントとしての定期的な飲み会、「断る」という選択肢がないほど、強制力を持った飲み会に直面することだって多々あるのです。

たった一回の宴会が、その後の人間関係、職場での立場を左右することもあります。たった一度の宴会を断ってしまったが故に、その後「付き合いが悪い」というレッテルを貼られてしまうということも多いにあり得るのです。そのようなことになってしまうと、その後の自分の身の振り方というものがなかなか難しくなってしまうばかりか、仕事上でも「人付き合いが苦手な者」として認識されてしまう可能性もあります。

社会人にとっては一度の宴会がその後を左右する重大な試練の場になってしまうということが多いのです。そのような場に「お金」を払って参加しなければいけないのですから、「社会人は大変」というのもうなずけるハナシでしょう。学生時代には単純に酔いに任せて騒げばよかった「宴会」が、社会人になるとそれだけでは済まない重要な社交の場となってしまうということがわかるでしょう。

仲間うちだけのハナシではありません。取引先を接待する場合や、逆に取引先に接待される場合なども多々あります。そのような「人と関わる場」としてもっともシンプルで重宝されるのが「宴会」であり、人のホンネを聞き出すためにも重要なものなのです。ただお酒を飲んで楽しいというだけではないのが、「大人の宴会」です。気を使うこともあれば、気を使われることもあるということです。そのような「社交」は、場数を踏まなければわかるものではないのです。ただの宴席が、人によっては自身の運命を左右するほどの重要な場になってしまうのです。