上司のおごり、断るわけにはいかないものか
「人間関係」というものは、「社会」に出た途端に一気に複雑になるものです。学生時代は基本的に同じような世代の人と接してきたわけですが、社会に出ると触れ合う人の「幅」
というものが一気に広がります。
「社会」にいったん出ると、ずっとその社会で生きていくことになります。自分が関わる「フィールド」を変えることはできたとしても、「本質」としての社会の構造というものは変わることがありません。自分がいて、同輩がいて、上下にも誰かいて、取引先がいて、外注先がいて、という「よくある人間関係」は変わることがないのです。そのような人間関係の中で、頭が上がらない存在として「上司」がいます。
仕事というものは「組織」で動かすものです。組織で動かす以上、それを「取り仕切る人」という存在は欠かせません。その組織、そのチームを代表する人がいて、その「指示」を実践する人がいて、はじめてその仕事が成り立つのです。もちろん社会人であれば自分の意志で物事を判断するということは大切ではあるものの、その責任をとるのはその人の上長です。それが「組織」であり、「会社」として運営されていることの「基本」です。
組織として経済活動を行い、組織としてそれを所属する人それぞれに分配しているということですし、その分配されるべき金額も立場によって違うのが「会社」です。たくさんもらっている人はたくさんもらうなりの責任を背負うべきであり、その「責任」というものは後輩や部下の面倒を見るということも含まれているものなのです。
その「面倒を見る」ということの一環として、「部下に奢る」ということも含まれます。上司たるもの、部下に対して「懐の広さ」というものを見せるべきだということです。社会人になったとはいえ、若い世代はまだまだ未熟です。そのような世代の人が業務としてだけでは割り切ることができない処世術、仕事の中だけでは判断がつかない「取引先担当者の機嫌」のようなものを見切れるようになるためには、「経験」のほかに「適切な指導」、「先人の教え」というものが必要です。そのようなものを仕事の中で叩きこんでいければいいのですが、それだけでは伝えられないこともあるものです。
そのような仕事中では伝えられないこと、会社の外であえてじっくり話したいことというものを、「伝える場」としての「宴会」であれば、それはこれから学んでいくことが必要な世代にとってみればそれほどありがたいものはないのです。しかも、それが「上司の奢り」であれば、それについていかないということはある意味では上司を侮辱しているようなものです。上司がおごってくれるといっているのであれば、そのような誘いは極力参じた方がいいのではないでしょうか。その先には自分が知らなかったこと、考えもしなかったことを「教えてもらえる」というこの上ない「チャンス」があるのです。ですから、上司が誘ってくれたのであれば、勉強するつもりでその誘いを受けるべきでしょう。